大福寺 縁起

 当寺は熊野山弥陀院と号し、宥幸和尚によって開山されたと伝えられています。本尊に不動明王を奉安しています。真言宗智山派に属し、正能の龍花院の末寺です。

  境内には天福二年(1234年)の大日種子板碑をはじめ、多数の鎌倉期の板碑(町指定有形文化財)が残されています。

 平安時代末期、道智氏(大字道地に居住)の一族、多賀谷氏が館を構えました。多賀谷氏は武蔵七党の野与党に属し、源頼朝の上洛の隋兵や弓始射手として活躍しました。大福寺は多賀谷氏の館跡に寺院を建立しました。承応年間(1652-1655)に火災で本堂を焼失しました。現本堂は大正2年12月に建立されたものであります。

 周辺には、寄居・タテヤマ(館山ヵ)などの、館跡に関する地名が残っています。

大福寺の仏様

本尊 不動明王

 

見るからに恐ろしい形相をしている不動明王は「お不動様」として知られ、多くの人々に信仰されています。

慈悲深い容姿をした仏像が多いなか一種独特な存在で人々を救いとるためにはいつも優しくするだけではなく、ときには厳しく叱り、たしなめる必要があり、愛のムチ的役割を果たしています。

 不動明王は一般的に右手に剣を持ち、左手に羂索という縄を持ち、左眼を半眼、右眼は見開き下歯で上唇をかみ、口の両端に牙を出し、忿怒の顔をもって背には火焔を背負っています。すべての障害や悩みを打ち砕き、人々を救いとるということで、密教系の寺院で、家内安全、交通安全、商売繁盛の仏様として祭られています。

 (出展参考:「日本の仏様がわかる本」著者 松濤弘道氏)

 ご真言:ノウマク サンマンダ バザラダン カン

阿弥陀三尊

慈悲と知恵の象徴で、この二つの特性をサンスクリット語では「アミダ」といい、すなわち知恵の光と慈悲のいのちは無量無辺で限りなしという意味です。

大福寺には阿弥陀仏の他に脇侍(きょうじ)として控える右に観世音菩薩と左に勢至菩薩を安置しています。この三体の仏様を阿弥陀三尊と称します。

阿弥陀ご真言:オン アミリタ テイセイ カラ ウン

観世音菩薩ご真言:オン アロリキャ ソワカ

勢至菩薩ご真言:オン サン ザン サク ソワカ